幸せとせつなさ。

え~~~と、今週は仕事がハチャメチャで、とうとう腰に疲れがイッちゃいました。
金曜日の夜に整骨院行ったら、治療中に仰向けからうつ伏せになるときに、
自分でグキッと。
院の先生はそれを見ながら、「はい、頑張ってうつ伏せ~」と言ってましたが。。。

少しばかり同僚よりも仕事量が多くなるとこればっかり・・・。(涙)
7月に完全ギックリ腰やってから、気をつけていたのですが、
今週はダメでした。はぁ~。

それでも、1日中寝ていたおかげなのか、
練習参加ギリギリになって、なんとか痛みが治まったので
遅刻ながらも参加できてよかったです。
帰りの車で、腰が痛かったのは言わずもがなですが。。。
ご心配おかけしてすみません。(え?心配して、、、ますよね?笑)

今日は、おなかからのスタッカートしようと思ったら腰に響いてできず、
仕方なしに、喉やら舌で音を切っちゃってました。
音が合わず、申し訳ないです、管楽器のみなさま。
後半頑張ったら、練習後にみなさんと別れたら完全に力尽きました。。。(苦笑)

さて、そんな状態なので、いつも以上にぼ~~っと
音を聴いて吹いていました。
すると、3楽章で、とっても切なくなって涙が出ました。
3楽章です。
2楽章はKl.がちょっとがんばるところなので、
いつも感情の深いところで何かが起こりますが、
今日は3楽章で、tuttiでのcresc.のあとの f で、 涙が出そうになりました。

なんだろなぁ。。。
言葉では私の語彙力では表現できないのがくやしいところ。

幸せながらも、そこでこれまでのことを反芻して思い返すというか、せつなさが出てきて。
光と影が一緒になって現れて、幸せな涙とともにあるせつない気持ち。

8月に群馬県で行われている草津アカデミーに行くと、
講師の先生たちが「自然に」(ドイツ語ですけれどね)、と
よくおっしゃっていました。
そして、
「日本人は『自然に』という言葉が苦手だねぇ」と何度か苦笑されているのを
見たことがあります。

そんなことを思い出しました。
今日の私が涙が出そうになったのは、音が自然だったからかなぁ・・・。

BrahmsってBeethovenほど
はっきりした輪郭のある音(って言えばいいのかなぁ?)ではないですけれど、
たゆまなく、心の奥底の何か複雑な感情が揺さぶられるような気がします。
次から次へ感情の波がやってきて。
音楽って波動だと思いますが、Beethovenのときの波とはずいぶん違う。

decresc.では、音は小さく消えていくけれど、どこまでも気持ちが続いて、
後ろ髪ひかれるってことはこういうことなのかなぁって。

愛いっぱいな曲だなぁと思います。
楽譜の向こうにあるものに、一歩でも進めたらうれしいですねぇ。

あちこちにある呼応の音。
音楽って言葉ですけど、
Brahmsってものすごくはっきりとした言葉での会話が、いろんな楽器でできますねぇ。
お話できるのがおもしろいです。
誰かと音を合わせる、音楽を創るということの醍醐味かな。

ちなみに、草津アカデミーでKl.ライスターのアカデミーでは
「花が開いていくように、山場で花を咲かせるために、cresc.はしていくものだ」
「あなたの花がみたい」
「日本語でもいいから、音に言葉をつけなさい」
っとよくおっしゃっていました。

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