源氏物語がとんでもなく好きだった高校生時代。
きっかけは、当時流行っていた漫画本「あさきゆめみし」。
あまりにも好きすぎて、問題集も買い漁って勉強したり、
「いとをかし」の枕草子とも比較したりして、古典の世界どっぷりの高校生活だった。
高2?の時にお正月の2日間に渡る番組がテレビ放映されたときは、かぶりつきだった。
学校が始まった時に、古典の授業で担当の先生もかなりの源氏物語好きだったのようで、「あの番組は〜」と3学期授業の1発目で話し出した時には、心の中で激しく同意したのを覚えている。
面白い先生だったなぁ。
まぁ、「源氏物語」って、いわゆる週刊誌的なノリだからねぇ。(笑)
古典の中で覚えた現代の言葉に残る、語源の数々。
「垣間見る」は有名だけれど、「香り」と「匂い」の違いを教えてもらったのも、「源氏物語」だった。
日本語って美しいなぁと、心から思う。
色だけでも何色の言葉があるんだか。
小さな違いが大きな違いになる。
だから、当たり前だけれど、言葉って使い方次第で、伝わるものが変わってくるなぁとつくづく思う。
特に、奏者である私たちにとっては、音楽は一つの言語だから、演奏の仕方によって相手に伝わるものが変わってくる。
だからこそ、楽譜を読み解き、そこに込められている作曲家の言葉を感じる力をつけていきたいと思うばかり。
経験を重ね、勉強し、積み上げていかないといけないとわからないことも多い。
だから、できることは楽器練習だけではないから、生きることそのものが音楽につながっているなぁと思う。
半世紀も生きていたけど、まだまだやり足りないし、まだまだやるべきこともある。
この日の練習で、コンマスが
「東欧じゃないと思ったけれど、やっぱり東欧(チェコ)っぽさが」
という話をしていたけれど、本当にそうなんだよねぇ。。。
やっぱり、曲の中にチェコの空気がある。
行ったことないけど(笑)、今までの東欧の人の音の感じ。
以前に「新世界」のアメリカを同見てたかということをここで書いたけれど、やっぱりドボルジャークは東欧の人なんだなぁと、感じる箇所が随所に。
母国語というより、母語って音楽。
30歳前後の時に、チェコフィルを聞きに行った。日本で。
弦楽器の音が、とんでもなく素晴らしかった。
管楽器はもちろん一般的なうまさはあるが、弦楽器の振動・揺らぎが、とんでもなく、痛みと優しさと強さの音色と音楽。
ああいう音楽を聴いて、私が泣かないわけがなく。
憧れと共に、血がなせる技だなぁと思った覚えがある。
合わせているときに、ドボルジャークのこと考えたり、「ベートーヴェンなら」と一瞬考えたら、最後に余分な音を出してしまった。。。
みんなで大笑いしたけれど(笑)。
外国人である日本人が、チェコの人の曲をやるのは、チャレンジ。
小澤征爾さんが20年くらい前に言っていた。
「外国人である日本人でも、モーツァルトやベートーヴェンの本質を捉えることはできるはず。それに僕はどこまでできるかチャレンジ中なんです」
彼のような偉大な人のようにはできないけれど、自分なりにできるチャレンジは続けていきたいし、基本的な技術習得ありきだけど、五感を働かせた音楽をしたい。
まずは、スケールを丁寧に、その調にあった音程で、からだなぁ。
調にあった音程を、曲中でも心地よく出せるように。
(Cl.sonne)
【練習場所】
夙川公民館2階 第1集会室
【練習参加者】
管 Fl=1, Ob=1, Cl=2, Fg=0, Hr=1,Trp=0 以上5名
弦 Vn1=1, Vn2=0, Va=0, Vc=2, KB=0 以上3名 合計8名
【練習曲】
ドボルジャーク/交響曲第6番楽章
【Kaffee Zeit】
・インドのコーヒー。
【お知らせ】
・次回は同曲の1楽章から。