演奏会が終わり、もうすぐ2ヶ月が過ぎます。
また、
Brahmsの練習が始まって2ヶ月です。
Brahms、繊細な曲だなぁと最初の合奏で思いました。
Brahmsはロマン派と言われながらも、新古典派と言われたりするってことは、
やっぱりやってきたBeethovenと通じるものもあるのでしょうが、
Beethovenとは違った音の重なり方が違うのは、なんだろうなぁと思っていました。
初見ってやっぱり1回しかいないだけに、おもしろいですねぇ。
もう次からは違うことを考え始めてしまうので。
あのとき感じたことがスタートになり、どんどんどんどん深まっていく。
これからどこまで深まりや広まりを見ることができるのか、
いけるところまでどんどんいきたいものです。
人が違うから音楽が違って当たり前なんですが、
Beethovenよりも複雑だなぁと思う反面、繊細な音の重なりがあって切なくなりました。
胸がセツナイ。
ただただセツナイ。
彼はどんな気持ちで彼女のことを思ったのかなぁとも思っていました。
クララ、一体どんな人だったのかなぁとか、
彼にとってどんな存在だったのかなぁとか、思ってました。
セツナサを恋愛に重ねるのは安易ですけれどね。(笑
Brahmsの交響曲第1番は「のだめカンタービレ」で有名になって、
それでイメージがついた気もします。
今回ミューで取り組むこの曲は、聴くだけは以前からしていても、
楽譜からの真っ白のイメージから、これからどんな音を描くのかなぁと楽しみです。
何年か前、Humburgの彼の生家に行ったときに、可愛いポストカードを買いました。
あの有名な絵です。
ハンプティダンプティのような彼が、腕を伸ばし、でも手首はダラリと脱力し、
くわえタバコ、サンタクロース顔負けのりっぱなおひげ、
両手を交差させて演奏しているあのピアノ姿の絵です。
そのカードと一緒に、
1876年Wienで撮影された彼の写真のポストカードも購入していました。
写真があるというところが、Beethovenとは違うところ。
彼の姿が近くに見えてくる気がします。
そして、その写真の彼はどこを見つめているのかなぁ、なんて思ってしまいます。
あのときは、Brahmsの交響曲をミューでできるなんてちっとも、
かけらさえも考えていませんでした。
あのときの私に言いたい。
「いつか彼の曲をミューで創っていくから、
ちゃんとBrahmsに会って、見て来るんだよ!」って。(笑
4番が作曲されたのはHumburugではありませんが。(苦笑
彼が交響曲第4番を書いた土地、ミルツツシュラーク。
アルプス越えという難関を突破した ゼンメリング鉄道に乗って
Wienから約1時間で到着するらしいですねぇ。
2万人もの人員がが6年の月日をかけ、そして、
1千人が犠牲者となった鉄道の終着駅。
悲しみを隣り合わせにしていますが、1度は行ってみたいところです。
ここではどんな風が吹くのかなぁ。
どんな光が射すのかなぁ、なんていろいろと想像しています。
第九という通過点があったからこそ得られた、次の通過点のBrahms。
また次の通過が楽しみです。
また楽しみに思えるのは、6月の演奏会が大成功できたからだと思います。
皆さん、ありがとうございました。
中牟田先生、ミューを導いてくださってありがとうございました。
演奏会に関わってくださったみなさんに心よりの感謝です。
2ヶ月遅れ。
でも、2ヶ月経っても感謝の気持ちは深まるばかりです。